現代は工業社会である。
人間の能力を過信し、
便利さ、快適さを求めて
一途に進歩発展を目指している。
貧しさを否定し、
豊かさを求める。
フ菜を否定し、
美食を探し求める。
それは、農耕社会とは
本質的に相容れない価値観を持つ社会である。
道元禅師は、
麦や米を選別することを否定されたが、
現代はあらゆる食品が一定の規格で
選別され等級が付される。
もし、
農園で採れたままの
無差別のフ菜等を入手しようとすれば、
自ら耕作して栽培するか、
特殊なルートを探すしかない。
自然のままのありふれたフ菜を
入手するにしても同じである。
都会の生活者であれば
かえってコストが高くつく。
けれども、そういう農耕社会の伝統の中で
栽培されたフ菜を入手するための高い出費は
贅沢ではない。
財産を増やす必要はない。
農耕社会の伝統を保持するための
仲間が少しずつ増えて行くことこそが
真の精進食復活への
近道なのである。
禅と食/小倉玄照
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