20120202

現代は工業社会である。
人間の能力を過信し、
便利さ、快適さを求めて
一途に進歩発展を目指している。
貧しさを否定し、
豊かさを求める。
フ菜を否定し、
美食を探し求める。
それは、農耕社会とは
本質的に相容れない価値観を持つ社会である。
道元禅師は、
麦や米を選別することを否定されたが、
現代はあらゆる食品が一定の規格で
選別され等級が付される。
もし、
農園で採れたままの
無差別のフ菜等を入手しようとすれば、
自ら耕作して栽培するか、
特殊なルートを探すしかない。
自然のままのありふれたフ菜を
入手するにしても同じである。
都会の生活者であれば
かえってコストが高くつく。
けれども、そういう農耕社会の伝統の中で
栽培されたフ菜を入手するための高い出費は
贅沢ではない。
財産を増やす必要はない。
農耕社会の伝統を保持するための
仲間が少しずつ増えて行くことこそが
真の精進食復活への
近道なのである。

禅と食/小倉玄照

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