モートンは、
レム・コールハースの「ジャンクスペース」を引用し、こう述べる。
空間は、資本主義の発展のもとでただ生産されるというだけでなく、
放擲されていくことになる。
つまりさらなる発展のためには、
資本は開発された空間をそのまま維持するのではなく、
新たに別の空間へと向かわなくてはならない。
その過程で、かつて生産された空間は、見捨てられ放擲される。
「資本の働きの前と後には、
悲惨と抑圧の痕跡を特質とする、興味をそそる静寂と欠如が存続することになる」
とモートンはいう。
今後私たちが生きることになる超都市とは、
この静寂、欠如が優勢になる都市のことではないか。
「消し跡と静寂」の漂う空間。
この静寂は、資本主義的な生産のもと機械化ないし自動化の停止において現れる。
これは、自然の静寂 ーつまりは山奥の静寂といったことー
とはまったく異なるものとして考えておくべきだろう。
モートンは、この静寂を捉えることの手がかりとして、
「アンビエント」という概念を提示している。
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そうした作品は、
「とりまく環境、ないしは世界の感触を、呼び覚ます」
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自然なきエコロジーは、ホーリズムなきエコロジーである / 篠原雅武