移動する植物のことを考え出したのは確かクレッソンが始まりだったと思う
クレッソンは集団を形成しその中の一塊が根っこからふわっと流れて
行き着いた先に根付いてまた集団を形成する(のかどうかは知らない
とにかく絶滅を危惧しているのは我々であって本人達は常に書き換えられる
先祖達の記憶に沿って移動しているにすぎない、とか
抵抗はないのか、とか
(群れて鳥が飛んでいる何時ものところで、というのは思い込みで
何時ものところではなのではないか
実わ繰り返してきた、太古から
その奇跡ではない一瞬に出会う、奇跡を
それが風だったり水だったり光だったり
とか、偶然すぎてもう
ひとつひとつていねいに
やりかたを
わすれてゆく
だれかのなにかになりますよう、と願う
*
天才ユッケにひとくちもらった
野草茶の効き目がすごすぎてびびた
飲んだ瞬間に視界が開けて、あかるくなるほど
どこのだれにもらった何茶か、またきいとく忘れた
*
夜の公園に子供達がたくさんいる
といっても中高生
ええ気温とええ風
「わかるっ」
そのぐらいの歳の時は
楽園だった公園
朝までみんなで遊んだり
恋したり楽しめ帰るなあそべーと思うたのしいから
なにせ涼しや
秋の夜長
そんなわかものに
地面に座らない方がいいとか
公園で遊ばない方がいいとかなるし
放射性物質ファック
*
金曜日の朝に収穫した野菜を
午後の便までに
まだみぬ料理人を想像しながら
その日美しい順番に箱に詰めて
発送する
まだみぬ料理人は
土曜日の昼前に届いた野菜を
その場で手を尽くし
ランチにする
この野菜を収穫したり
選んだりするのはとても楽しく
夢中でやってる
とても善い関係
とても楽しい
*
香港
*
で、どうもブームが去ったので
言い出しにくかったけど
政府や社会を変えるよりも
独立したほうがはえーのだ
けれども違法なのだ
やるなあいつら
ウシロメタサの利用
言葉、は好きだけど踊らされるのはちょっと。
どうでもいい。
どうも思想的な言葉や哲学的な言葉をみると論じたり当てはめたくなるのだけど、
思うつぼだし
どっち側かは、
どうでもいい。
どうでもいい。
とか
なんでもいい。
とかは
禁じられてないのに
言いづらい感じが
もう
どうでもいい。
ただせかいじゅうの川がのめればそれでいい。
あとは天気の話ぐらいでいい。
見渡す世界は小さくていい。
*
ゐゑーゐ!
*
確実に放射性物質は拡散されているし汚染水はコントロールされてないし
色々制限はあるし監視もされているこの国で、自由に遊ぶ
*
田圃の無除草は来年もやる
くろーばーの種蒔こうと思ったけど
増えすぎたら水の調節でどーのこーのは
リアルじゃないなあ
ひとかぶひとかぶで考えるのではなくって
植物は集団で移動する、と考えれば
よいやりかたがあるのちがいねえという段階
クローバーはなしとして
米の裏の麦はハダカムギ(決定)と、小麦はやるのかおれ
玉ねぎはうえるとしても
農林ナントカ号なのか。
そろそろきめにゃいとふゆがくるるる