20160607

脱SNS論 #outputonly

他人のSNSを見なくなったおかげで
何も羨まなくなったし
急いだり焦ったりすることも
なくなって
より自分らしい速度で
生きて行ける様になったりする
革命は口伝えの方が
信用できるのでそこでの
スピードアップが課題

たとぇば

福島や東京の線量、よりも

庭の樋の部分や
いつも水が溜まるあの辺の線量、の方が

日々、詳しくなるイメージ

小さな世界を、幸福にする
生活革命が
大きな世界を、豊かにする

目を閉じれば
雨の音を通じて
無限の、宇宙が広がる

干した草花の香りが

過去や未来へと
意識を、時間を、 
飛び越えさせてくれる様に

あまりに静かで
自分が存在しているのかさえ
怪しくなる、のを
確かめるために
声を出してみる
いますか、とか

僕らが崇めているものは、
もはや過去で
子供達にはなんの意味も持たない
老い、に気づかず
古い情報を更新した気にさえなっているが、発信源が老いているのだもの
どうしようもない。

もちろん口伝しなければ
ならないものもあるのだろうけど
みつからない。

もはや、その音は旧い。

進化、とはそういうことで。
人間が一番進化した形だと、
そう勘違いして
最先端の音を探していると
未来を見失う。
鉱物や植物、動物。
それぞれがそれぞれの最新形態なわけで、私たちは何も進んでいない。

なんの情報もいらない。

くだらない争いに巻き込まれない。

くだらない争いで、
食うものがなくなった時の為に
食糧の創りかたを
自らの生活場所に合わせて
更新し続ける。

それだけで、
生きて行ける。

自給自足的田舎暮らし、
みたいなものに
魅力すら感じない。

どこでも生きていける、
というのも
私が、ではなく
私たちという種が、という
時間軸で
話をするのが
とても重要。

植物たちのように。

何千、何万年先に
生きていける手段。

実はそれは
小さな世界に在るのではないか、
と思う。

静寂に包まれた、芒種の夜

まるで
時をとめる
魔法が
かかった
ような
小さな
世界

干した
セイジと
バジルと
カナビスミントの
香りに
包まれた
世界

仮想現実という名の
現実社会で生きる人々

イメージすらなく
ただ光に向かって
蔓を伸ばす
現実的植物
それは誰のためでもなく
ただの螺旋
私たちが
彼らの媒介であるように
彼らはまた
誰かの媒介
永遠に続く螺旋

脳で記憶するか
核で記憶するか
そもそも
記憶するほど
世界は永いのか?

産まれてから
死ぬまでしか
実は存在しない
魔法みたいな
世界なの?

だ、れにも
確かめる事はできない

ゆっくりと
動き、をとめて
無限か
とも思われてきた
螺旋にも
終わりがみえる
耳を失う
目を閉じる
言葉は意味を持たない
色彩は消えて
核のようになった

僕らは風の形になったようだ

軽い軽い軽い身体が

雲のように
風に吹かれて
僕らは
身体の形、になったようだ

さよなら僕らの形をした雲
またあおう
よいイチニチを

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