20230314

相性がよくない環境と経済、カテゴリ分けできない農法と依存症、意識のつながりを構築する方法、ZINEとパラレルワールドの行方。


「地球環境に優しい仕事をする事」と「経済社会で生きる事」は、
相性が悪すぎて残高4桁で限界だーって話。

村の放棄地の維持や里山の清掃に注ぐ日々は、賃金ナシ。
だけど国家がやらないことは個人でやるねん。
すぐやる。
誰かに任せる時代は終わり。

しかし、年明けに必要だなあー思った軍手が未だに買えないあたりから
コレはヤバいと感じる春。
今日の仕事はかなり久々のまとまった雨きたので、
山の水路の清掃、超肉体労働もちろん賃金なし笑。

「農法のカテゴリーを分ける事」に意味はないわけで、
慣行?有機?自然?栽培?自然農?
そんなのは人と場所と季節と作物と条件で全く総て変化させていくのが百姓なわけで、
言葉から入って田畑に立つなんてのが机上のアレな訳です。

たとえば不耕起とはいえ表面や溝は削ったり
イモは掘り起こしたり、
飼ってる鶏の糞は絶好の培養土アイテムだし
鶏は動物だが、草と野菜と米ぬかしか食べてないヴィーガンだし、
苗づくりにはビニール素材使いたいし、
だがしかしプラの枠なんか使わずに
時間かけて矢竹切りに行ってサイズ合わせて使用するし、
場所と作物によっては耕起するし、
その他いろいろ様々、単純な話じゃないってわけで。




自然環境に影響されない施設を豪勢に立てて、
燃料や肥料をとんどん投入して、
売上を立ててシステムになっていく農業農家は尊敬しますし、
村の引退していくおじいおばあに、
ハイハイと笑顔でやり方教わっていくわけですけど、

例えばマルチは藁で代用だなあとか、
ここの化成追肥は一昨年の刈草の下にいいやつ出来てるなあとか、
この作物のウドンコカビタイミングでケミカル消毒してとかは、あー何で代用しようかなとか。


進化と退化を繰り返して
一年に一回きりのチャンスを失敗して、また来年失敗したり失念したりして、
いつか百姓のお爺さんとしてありとあらゆる経験を伝えキレずに死んでいく人生。

日の出から日の入りまで、
「無数の植物とそれにかかわる無数の仕事を永遠に繰り返していく事」が仕事だとしたら、
経済活動に合わないのは当たり前なんだけど、
もはや1秒の暇もないことが全く辛くない、
しんどくないからこれは依存症

でもバイトもしてる。
子供3人飯だけは食べさせて可愛がる、何にもないけど。

久々の豪雨で遅い朝、野菜と交換したパンが長期熟成で美味すぎて悶絶。
買えないものはたくさんあるんだけど、買えるものがほんとに足りない。


狂ってるのは私か世界か。


「何もしない」という農法に憧れていた20代と違って
40代にもなると結構「出来ること」が増えてしまって
子供3人育ててるとなおさら体力があるんで
肉体労働1日中働いてもいけるようになってしまい、
どんどん何かしたくなってしまうんです。

もちろん手を出すと、その分ナチュラルな働きを阻害してしまうこともあるんだけど、
その働きが促進するような手の出し方ってゆうのも
「力加減」と、持ち前の「段取り能力」と、「動線システム確保好き」が功を奏して、
ようこんな極寒北向き段々棚田斜面やってんなーって言われるような
日本有数の不利な条件の中。

だがしかし水だけは本当にいいんで環境を護る事の大切はなかなか知ってるんですね。
知ってますかね。
私たち自身や食べるものやなんやかんやほぼほぼ水です。
きったねー水が馴染む世界も嫌いじゃないし、
見下してるわけじゃないんだけど、
美しい水の大切さは何物にも変え難い。


こうやって頭の中を整理できて、言葉に成ってるのも
ひっさしぶりに都会に出て友人からたちと話したからで、
永遠に山にこもってると、
自然のspeedや動物の営みなんかが、
何もかもが当たり前すぎて忘れてたりする。

厄介だけど楽しい暮らし方

積極的にSNSとか使って、
野菜や果物ガンガン仕入れてまだ売ってた頃は
「活動と稼ぎが釣り合ってた」わけだけど、
どんどん自然環境いわゆるサステナ的な
(企業がやるような事じゃなくて本当に自然に還る物だけを使って暮らすやつ)事って
売らない買わないなんだよね。
そりゃ死にかけるわ。

そうしてSNSだのやらなくなったら、
寄り道出来る範囲の人としか関わりがなくなって
忘れて忘れられて老いていくんだね。

そればそれで昔からこの辺りのお婆が言うように
「60軒1村」的な、
60家族友人知人がいればそれぞれの役割こなして、
その中だけでは生きて行ける時代もあったわけで、

それが「地域の」ではなくて「意識のって括りでやってけるんじゃないかって、
0年代から10年代あたりは思ってたんだけど、
それはインターネット全盛時代で、若さもあってか
もともとのヒッピー概念からそうやって自信があったんだけど、
意識的なつながりをネットを介さずに取り組んでいく事の答えが見つからないなあ。


それが本や新聞やZINEの為せるところだとも思ってたんだけど、
本当に籠ってみると街中に用事がないわけで、
そんなの街にでなきゃ、店やなんかにでなきゃ手に入らないわけで、
もっぱらここ最近の読み物は
野菜の届け先の有機農業の会の方が分けてくださる『土の健康』だけが楽しみです。


時折ありがたい事にいただくマルシェなどの「出店における農的な情報長者」が、
実践しているこちら側になってしまうので、
聞かれりゃ話すけれど、新鮮で体感された情報を受け取ることが難しい。


しゃかいは社会で、何にもしちゃくれないどころか
どんどんなにも手に入らない世の中になっているような感じがしているので
どうしたもんかと、都会からの帰り道車で走っていたら
チェーン飯屋と車販売店とコンビニの繰り返しでなんだか寂しくなってしまう。


3.4.5月と9.10.11月あたりに、
1日一種の種まきしたら180品種の食べ物ができるわけで、
1年365日1日2品種の「ケミカルなし食べ物」食べれたら贅沢だろーなあと、
それが60軒分なら1日一品種60粒こりゃまあ大変。

またお金にならない計算。



「少量多品目農業」には固執しているような気がする自分。
なんでかっていうと色んなもの食べた方が健康だから・
綺麗に統一された単一品種農業に情熱注ぐの渋いし、
プロ意識高くてリスペクトだけど、
もと棚田の段々畠18枚(現在)の面倒見てたら無理難題

作業場1枚 苗場1枚 鶏1枚 田んぼ3枚 果樹4枚 畑8枚

やりたい事と換算するとまだまだ足りないけど、
もちろん大型農機は入れないのと、
ポリシーで手仕事推奨でジョジョに奇妙なアレ。



ぶつぶつ呟きながらの撒き余ったえんどう豆の種a.k.a乾燥えんどうのスープが美味い。

珈琲はラオスのピーベリー。 山を歩き回って2時間ほどかけて集めた
天然木の香り良さげな薪。

主に山桜の枝を使って畑で焙煎。 買えないものはたくさんある。
山の掃除になっていい作業なんだこれが。 高槻かどっかの山ん中通ってきたけど倒木切り木そのまま放置で荒れてたなー。



「買えないものを売りに行く」と助かるのだけど
ゆうても最近街中に引き売りしに行く時間がもったいないし、山籠り。

自分が引き売りだけで生計立ててたころは、
友人知人の農家の畑に直接集荷しにいって、
いわゆる「直売所に卸す価格」の倍ぐらいは出して現金買取仕入れしてた。
いま農家側だけやってたら昔の自分の仕事スタイル完全に神。 どっかに僕いないかなあ。

20.30代の時の僕を必要とする40代の私パラレルワールド。


全部ひとりでやりたいところ、
物理的時間的体力的に無理だし、
辛すぎて人には勧められないし、
赤くて丸いお鼻押したらコピー動き出すロボットどこ。


現実逃避して漫画になったから終わり。 人生全部ネタのギャグ漫画でOK。



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今農園に必要なもの、使い古しでもよいので
ご支援いただけると助かります。




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