岩波書店
思想
1976.6
特集
1930年代の日本
をよみはじめる
僕は無宗教ですが
大本の記述が面白かったので抜粋memo
***
日本経済1930年代
「日本資本主義論争」について
昭和史研究序説
昭和政治史研究への一視角
1930年代の日本政治
新しいメディアの展開
交通・通信網の発達
「種族の知性と論理の国際性」
民衆娯楽から国民娯楽へ
思想の言葉
1935年京都府警察の警官500名が、 民衆宗教大本の本部、綾部、亀岡を急襲 出口王仁三郎の逗留していた松江、島根分院 東京の昭和神聖会本部等にも捜索の手が伸びた 第二次大本事件について 拷問と投獄の中信者たちは信仰を,曲げなかった
*
宗教は現代社会の鏡であり、
たとえば大本は、
現代社会への「痛烈極まる風刺」を含んでいる
民衆宗教大本と時代の社会意識との関連を一般的に定式化できるだろうか。
大本が時代の社会意識のひな形を集団につくり出す現象がある。
*
大本の月刊誌「神の国」に掲載された
30年代前半の一般信者の「おかげ話」から入信動機の類型をつくると、
⑴病気治し
⑵失意不幸のくらしからの救済
⑶霊的コミュニケーション
⑷ユートピア/共同体志向
⑸使命感の覚醒
となる。
下層農民、下層労働者、旧中間層下層に分布する信者たち
*
神聖運動の中で、
政治・精神運動として最も力を入れかつ具体性をもって展開した社会運動は、
農村救済運動であった。
陸稲と麦の輪作、
桑園改植や荒無地利用を含む独特の耕作法である。
*
A/ユダヤ民族のフリー・メーソンの「三S政策」
つまりスポーツ、セックス、スクリーンは、
主としてアメリカより流れこんで、
日本を占領しつつある、
国民目覚めよ、という激がある
*
B/貧窮農民層へのコミットメントと大本の農本主義との結びつきにある。
農村窮乏の原因が構造的に洞察され、
都会専制の社会機構への批判が生まれた。
*
「生産労働を喜びとし、苦痛から解放する生産関係はいかにしたら可能か」
という問いをたて、
その答えを、大本の皇道経済論中の生産関係、
つまり氏神・産土神をかこむていどの「農村部落」を一経済単位とする、
自給自足・相互扶助の経済組織に求めていく。
*
「大機械主義・大分業主義」を批判しても、必ずしも全称否定しない。
科学文明の成果は小規模化され、
精巧化されて、
農村に還元整備される必要がある。
生産規模を小にすることによって、
農村のメンバーは技術習得がたやすく、
「生産自由参加」、「一人にして総ての技術者たり得る事」も可能となる
*
こうしてコミューンの人々は、誰もが同時に農夫であり
木工であり、旋盤工であり、科学者であり、
芸術家でもある世界に生きる。
生産労働の一致、「生活即芸術」が夢見られている。
*
大本は近代天皇制の奥処に触れ、
それを内側から突破する論理を胚種として育てていたからこそ、
あの時点で弾圧されたのである。
両義性の宗教としての大本は、
近代日本の下層民衆のアノミックな意識に含まれる両義性の集合表層でもあった。
(超抜粋)