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越木岩神社のマンション開発による
磐座破壊問題のことを掘っている
「磐座の永遠の鎮座を祈る会」からの
岩が信仰の対象であり重要だという文献です。

岩に向かって農民たちが列をなして
一年中踊り続けているのがわかります。

力士が高張提灯、大幣を奉侍し
大麻の屋台には
小太鼓、摺鉦、三味線の囃子がいる。
女たちが踊り、子供たちが続き
男たちは拍子木をうちついている。

お陰踊図
兵庫県西宮市甑岩町1831年

踊りつづける
お陰踊りは、たとえ伊勢神宮まで行かなくても、
みんなが心をひとつにして踊れば、
伊勢大神のお陰で健康と作物の豊作が約束されるというもので、
これを受け入れた村では、
田畑で働く手を休めて熱狂的に踊り続けました。

その様子を描いたこの図は
旧上新田村、旧下新田村が奉納しました。
同じお陰踊りですが服装など両者は明らかに違います。

お陰踊りは文政13年(1830)の
お陰参りが下火になったあと、
同年の7、8月頃に大和(奈良県)に起こり、
年末(12月10日に天保元年)までに
河内(大阪府)から山城(京都府)に広まり、
さらに西に伝わりました。

図の記銘にあるある天保2年6月上旬には
上新田村、下新田村を含む一帯(甑岩町)でも踊られています。

田畑の作業を半ば放り投げての熱狂的なお陰踊りに、
藩や代官所は触書をまわし禁止令を出している。

だがそれにどれだけ従ったかは疑わしい。
禁止令を受けて、それを守らせなければならない大庄屋が、
踊り続ける農民に同情的な文書を代官所に出したりしていたりする。


お陰踊りには、権力に対する抵抗も潜んでいたようである。






甑岩ピラミッド説(カタカムナ文献