20160126

まいにちたきび


団地的 アーバンパーマカルチャー


さむい
まいにちたきび




かきぜんぶおちた

たねがはぜた





山をまいにちさまよっている

もくてきや
りゆうは
とくにない、が
きぼうはある





寒波が来ているらしいが
このあたりは
気候がよくて
なかなか大雪でどうのこうのと
なる土地ではなく
水の通り道が凍るくらい。


木を大切にっていう
看板がかけてあって
それをつける紐がもうあかんやんなーって長男が言ってる。

いいぞー。


ところで
常に自分の後ろ斜め上に
カメラがあって
監視されている妄想で
狂ったことならある。


独り暮らしのワンルームのドアの前で誰かが盗聴してるという妄想で、
数ミリのドアの下の隙間から
誰かが来ないか
何日か這いつくばって
見張ってたこととかもある。


まあけどそれは要するに
小学校に登校する際に
ウチから何度か角を曲がって、
他の子供の姿が見えなかったら、
休日なのに間違えて登校する自分を
みんなが陰で笑ってる
というような事が
有り得るので気をつける、というような用心深い子供だった。


ように。

病気でもなんでもないので
楽しくやってる。


その用心深さが功を奏して
ケミカルを避ける闇市や
農法を始めたりできたわけで
放射能から子供たちを護れたり
警察や自衛隊という職業ではなく
個人の性格で観る、ということに
繋がってるわけで
なかなかよい。


それに、そんな嘘まみれの
(妄想だけど 
社会にいれないということで
幼稚園、小学校を
登校拒否したこともあって
中卒なおかげで、
教育から逃れれてよかった。


教育、勤労、はすべて納税のタメで
あほうのすることだって
知れてよかった。


歴史上の偉人で学校にいってた奴はいない。って鶴瓶さんが言ってたし。

そういえば
大阪府が独立国家になって
憲法9条具現化して
日本から侵略されないようにする
ネタのやつ



監視カメラの話から
フラッシュバックしたけど
ほんとは
アスカのブログをよんでから
アスカやばい。



たぶん
なんだっけ 
自律神経が失調してるような病名が
あんまりなくてその頃は
まだ病気じゃなかったら 
変な子ですんだし
バレンタインのチョコとかも貰えたから 

病名考えたやつあほだな 




しかしどこまでが記憶で
どこまでが妄想かわかんないから 
あのとき
2段になってる公園で
いじめられそうになって
家に逃げ帰って
サッカーボールを踏み台にして
マンションのドアの
魚眼レンズから
追っ手が来ないか見張ってたのは
俺の記憶かね


それならその頃から素質あるね
基本なにかに追われるんだな



こないだ学童の申し込みに行ったら
他にも来てるかーちゃん達がいて
仕事で育児できないパターンはもちろん、と
なにか抗鬱薬や眠剤を飲んでて
キツイのに変えてもらったから
いま育児できなくて、みたいな
話をしてる人とかもいて
だから
hemp解放してあげなさいよ



記憶と妄想がごちゃっとなって
もうなにもかも忘れてしまって
たとえば約束とかできないし
なんにも憶えてないことが
ほんとによくある人は
ブログとかに書くのがおすすめで
おれブロガーに書き始めてから
憶えてることが増えてきたから
ちょっとうれしい



でとにかく子供時代のことはさておき
大人が死にたいくらいに
辛くなることのほとんどは
お金の話だそうじゃないですか。


そんなわけで
政府は所有している
国有林を
自給自足の希望者に
分配していただきたいのです


死なないように


最近流行ってるパペポの
阪神大震災のときのやつが
正論すぎて泣けた




あの時には東灘区ってガン揺れのとこにいたわけです。
だからはさまって死んでる人とか
超いたし、
毛布にくるまって死んでるばあちゃんとかは忘れられないし、
いろいろあったけども、
震災にあったことで、
マスコミも政治家も助けてくれないことが中学生なりにわかったし


大人嫌い(潰れた友達の家からビデオデッキ盗んでる大人みたから 
とかもこここら始まったり、
いわゆるサバイバル出来なきゃ
生き残れないのも知ったんですね



その後の復興した(とされる時代に
住吉川って
超街中の河原に
テント村つくって
大人に対抗した夏の事とかは
超いい思い出で、
のべ何十人かは遊びに来てたし、
失恋してテントに帰ってきて
泣き疲れて寝たら
ロウソクがテントに燃え移って
関係ないやつが
黒焦げになって川に飛び込んだり



そういえば
上水道たどっていったら
マンホールの下に
結構大きなスペースがあって
学校からベンチとかもってきて
住めるようにして
漫画並べて
焚き火とかして
立て篭ったりして


なんだろう
震災のときにびっくりしたのは
別に天皇万歳でもないけど
避難所の小学校に天皇来た時
みんながわらわら寄っていったから
みえないはずなんだけど
遠くからでも
天皇みえたから
あ、あの人浮いてるんだなって思った


浮いたので思い出したけど
テレビの報道番組作ってた時に
汐留のテレビ局によく出入りしてたんで芸能人みたいな人にはよくあったけど、
やっぱり人に囲まれてるのに
はっきりみえる人がいて
ジャッキーチェン。



思い出したけど
当時のプパは宇宙船だったから
よく宇宙旅行に連れて行ってもらっててほんとに助かってたんだけど
そういう時の記憶って
ぜんぜんはっきりしてるんですよね



本来妄想であるべきなのに
現実の方がよっぽどばかばかしい




いやとにかく
ASKAのブログがフラッシュバックの引き金になってもう


その頃は
チェルノブイリがあって
福島がないから
チェルノブイリの近くで被爆して
不食になったおばちゃんの話とか
流行ってたから、
ちょうどいい量の被爆で
不死身のからだができねえかなあ、とか言ってたの思い出したけど、
いまでは不謹慎。




んで、ひなびさんとゆうこりんとしゃべってて、
あの時のサバイバル感もう忘れてだんだんクソみたいな世間に戻ってて、
そういえば
もう電気なんか使うか、とか
いいながら
おれ今年リサイクルショップで
超でかいコタツかったんだよね激安。


毎日コタ寝だわ。



ホントにもっと人の役に立ちたいですホントに

助けたり助けられたりして生きていきたいですホントに

にんげんらしくいきていきたいですほんとに

こどもたちがいてよかったよー

はたけがあってよかったよー


情緒ください




長男が警察になりたくて
警察という職業はいい人じゃなくて
警察にもいい人と悪い人がいて
それはもう個人の性格の問題だから
まず目をみて話をして
それからいい人かどうか判断しなきゃいけないんだよっていうことは
君はいい人であることが
いい警察であることだって
いいながら


もうだから
とにかく
みんなが騙してくる可能性がある
世の中であることは確かなんだけど



ある時に
自分は無知でゼロになって


そんな何も知らない自分に
関わってくる人は全員いい人で
みんなの導きにしたがって生き始めると
急に世界は輝きだして、とか


ケミカルで脳みそが
ツルツルになった時に
はじめて救済される
ということがあるかもしれない



あ、だめだな
分裂した やつが
何しでかすかわかんないもんね




毎日のように甲山にのぼってる

私の味方は私です



そういえばぼくは12月11日生まれで
バグワン・シュリ・ラジニーシ と同じ日生まれなのでなにかしら嬉しい



なんだか妄想なんだか
記憶なんだか
自分の話なんだか
誰の話なんだかわからない話を
ずらっと書いてしまつて
すこうし顔があかい




目覚ましはかけないので
起きた今が朝


目覚ましなんかはかなりの敗北感
決まった時間に起きるなんて
明るい朝暗い朝寒い朝暑い朝
毎日違くて無理




音は風になるのか


お腹のほうから
思いを振動みたくして
風としてだしたら
まあまあ伝わるのでは



こどものらくがきみたいな空ですこちら



なんだろ
適当に起きて
珈琲淹れたり
味噌汁吸ったりして
なんだかんだいつの間にか
畑にいて
寒い寒いと漏らしながらも
心地よく過ごせて



ありがたくてしようがないね