20260228

私はかつてveganでした。

その時、動物や自然への配慮は、日々の暮らしの中で自分の選択として刻まれていました。しかし、世の無関心や無理解に苛立ち、怒りに心を支配されることも少なくありませんでした。誰かに理解してもらえない孤独感は、時に胸を締め付ける重さを持ちます。自分の思いを伝えようとしても、言葉は届かず、誤解や批判にさらされることもあります。その苛立ちと孤独は、veganとして生きる多くの人が経験する感情です。


長い時間をかけて気づいたのは、怒りは他者を変える力ではなく、むしろ自分を焦がす炎に過ぎないということです。そして、私たちは植物や動物と複雑なネットワークを形成して生きており、食べるという行為もまた、その循環の中にあります。動物を食べることには倫理的な葛藤が伴います。生態学的に見れば、私たちは捕食者でもあり、循環の一部としての責任も負っています。しかし、無自覚な消費は生態系にひずみを生み、怒りだけでなく身体の健康にも影響を及ぼすことがあります。栄養の偏りは心の安定も揺るがし、バランスを欠いた選択は、身体と心の両方に負荷をかけます。


では、じゃあどうするのか。

答えは、外に怒りをぶつけるのではなく、自らの心と身体、そして行動を通じて、自然と共生する選択を積み重ねることにあります。


目の前の一皿に、命を尊重した食材を置き、栄養のバランスにも注意すること。

庭の植物や野生の生き物に目を向け、関わること。

誰かにかける静かな言葉。

朝の光や雨の匂い、風の冷たさや温かさに意識を澄ますひととき。


小さな行為に見えても、それらの連鎖が、やがて心と身体と世界を支える布になるのです。

花粉を運ぶ蝶々のように、私たちも他者の営みとつながり、互いに支え合って生きています。

急ぐ必要はありません。

ゆっくりと、呼吸を整えながら、丁寧に生きること。

苛立ちや怒りは、その速度を緩め、内省と心身の調整を促す自然からのサインです。


私は今、確信しています。

世界を変えるのは他者ではなく、自らの選択と意識、そして体への気づきであり、

その静かな力が、植物や動物を含む生態系にまで波及し、心と身体に穏やかさを、世界に優しさを広げるのだと。


動物を食べることの是非も、答えのない問いかもしれません。

それでも、veganとして抱いた苛立ちや孤独を理解しつつ、自分の選択に責任を持ち、心と身体と自然のつながりを意識して生きることで、怒りを中和し、世界に優しさの余韻を残すことができるのです。


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