20260228


名前や分類で争う無意味さ



朝、畑に立つと、

土の匂い、湿った感触、風の音が肌に伝わってきます。


樹の葉が揺れ、

根元の土の表情が少しずつ変わるのを感じる。


でも、ふと胸が痛みます

人は言葉の違いで争い、土や樹の声を聞こうとしないのだ、と。


「自然農」「有機農法」「慣行農法」

どれが正しいか、すごいかと比べる人がいます。

でも、土も樹もそんな言葉には従わず、静かに生きています。


土の中では微生物や菌が働き、

栄養や水を作物に届けます。


樹は根や枝、葉で、

土や水、光の状態を感じ、成長の仕方を変えます。


争いに意味はありません。

土も樹も、呼び名や分類で動くわけではないのです。


言葉で争う姿を見るたび、虚しさや哀しみが胸に広がります。

どの方法も、土地や環境に応じてそれぞれ価値があります。

手間をかけて土や微生物の力を生かす方法もあれば、

効率や条件に合わせた方法もあります。


しかし、マルチやビニールなどの農業資材が使い捨てになり、

土の上や川や山に残ってしまう光景には、どうしても怒りを覚えます。


作物や土を育てるための道具が、最後にはゴミになり、自然を傷つける――

それは、理屈や効率を追い求めても、許されることではありません。


大切なのは、土や樹の声に耳を傾け、作物と向き合うこと。


他人のやり方を否定する必要はなく、

互いに学び合い、尊重しながら、

自然とともに育つこと。


対立の哀しさを胸に抱えつつも、

自然に寄り添い、作物と歩むこと。


それこそが、

農の本当の楽しさであり、

豊かさを生む道です。


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