私は六甲山の山麓で、土地に関わる暮らしをしています。
最近、殺傷能力を持つ装備や技術が、国境を越えて取り引きされていくという話題を耳にすることが増えました。
それが国の成長や安全の文脈で語られる場面を見るたびに、少し立ち止まってしまいます。
政治的な意見というより、生活の感覚から生まれる違和感です。
山で土に触れていると、生命が育つということがどれほど時間のかかる営みなのかを実感します。
一粒の種が芽を出し、土が豊かになり、土地が安定するまでには、長い年月が必要です。
生きものは、急いでは育ちません。
だからこそ、生命を断つ可能性を持つものが、産業として広がっていく方向に、私はどうしても馴染むことができません。
安全とは何だろう、と考えることがあります。
強い力によって保たれる安心もあるのかもしれません。
けれど土地の上で暮らしていると、本当の安心は別のところから生まれるように感じられます。
水が守られていること。
食べものを育てられること。
土地が次の世代にも渡せる状態であること。
そうした基盤が整うほど、人は落ち着いて生きることができます。
もし国と国のあいだで技術や力が行き交うのであれば、
土地を回復させる農の知恵や、
自然環境を再生する技術、
地域が自立して暮らしていくための仕組みが広がっていってほしいと願っています。
私は小さな共生の場をひらいています。
そこでは「強くすること」よりも、「続けられること」を大切にしています。
社会もまた、
壊す力ではなく、育てる力を手渡していく方向へ進めたらと思います。
生命が育つには時間がかかります。
だからこそ、それを守る選択は、できるだけ静かでありたいと感じています。
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