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魔王 / 伊坂幸太郎

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あの後、君はさらに深刻な顔になった。
君はあの客の中で何を考えていたんだ?
身の危険であるとか、大音量による難聴であるとか、
そういった警戒心ではなくて、
もっと深刻なことを感じているように見えた。

ええ。
ええ、まあ、そうですね。

あの群衆の中にいて思い出したんですよ。
以前に読んだ本、人が殺人を行う場合の心理について書かれた本。
基本的に人間は、殺人には抵抗感がある。
いや、動物全般がそうらしいですね。
その本によれば、動物は、『同種類』の相手は、
できるだけ殺さないようにするらしいんです。
つまり人は、たとえ相手が敵であっても、殺人を犯さない方法を選ぼうとする。

でも戦争では人は人を殺す。

だから、殺人を実行するにはいくつかの要因があるんですよ。
たとえば、面白いことが書いてあたんですが、
戦場から帰ってきた兵士に、
『なぜ人を撃ったのか』と質問をした時、
一番多い答えは何かと言うと。

殺されないために?

俺もそう思ったんだけど、違いました。
一番多いのは、その本によれば、
『命令されたから』

なるほど。

これは他の人の実験でも明らかになっているらしいんですよ。
人は、命令を与えられれば、
それがどんなに心苦しい事であっても、最終的には実行する。
命令された仕事だから、と自分を納得させるのかもしれない。

仕事。
他の要因は?

集団であること。
集団は罪の意識を軽くするし、
それから各々が監視し、牽制しあうんです。
命令の実行を、サポートするわけです。
あのライブの客の中で、揉みくちゃにされながら、
その恐怖を感じました。
ステージの上で、客を煽るロックバンド、
罪の意識を実感させないあの人数、
統一感的に。

バンドが命令を出せば、
殺人すらおきかねない、と思ったのか?

極端に言えばそうです。
そして気づいたんです。

何に?

俺が思っているよりも容易く、
ファシズムは起きるんじゃないか、って。
可笑しいですか?

ファシズムという言葉は、
とても恥ずかしい言葉だから。
でも頼もしい意見だ。
で、一つ疑問なんだが。

ええ。

ファシズムの何がいけないのだろう。

何がいけない?

ファシズムとは何か、という定義の問題はあるとして。

ムッソリーニはこう言ったんですよね。
『ファシズムは思想ではなく、行動だ。残念ながら』

たぶん、それは正しい。
ファシズムは行動だ。ということは、原始的ってことだ。
で、その行動に何か問題があるのか。
俺には問題があるようには思えない。
仮に、自分の国に対する意識を強くし、
国民であることを自覚し、
その結果、集団の結束が固まったとして。
何か問題があるかな。

ヒトラーは六百万人を虐殺しましたよ。

ファシズムだから、と結びつけるのは単純じゃないか。
では、民主主義は善か?
民主主義は何人殺したんだ?
資本主義はどれだけの人間の人生を損なった?

マスターが俺に何を言いたいのか、それが謎です。

反動だよ。
俺たちはあまりに、
自由だとか民主的だとかそういうものを大事にしすぎたんじゃないか?
統率は必要なのに。

ファシズム化しろってことですか。

統率しようとすると、すぐにファシズム、
それも例の、帝国主義や軍国主義にしか結び付けようとしない発想が、
すでに危険だ。違うかい?
親が子供に、「ドライブに行こう」と提案したとたんに、
「お父さん、車は人を轢くから危険だ」と騒ぐのと一緒だ。
ドライブが必ず人を轢くわけではないし、
ドライブで幸せが訪れることもある。
ニーチェの言葉を借りれば、こうだ。
俺たちの魂は、偉大なものをあまりにも知らないから、
だから超人が優しさを見せた時にも、
それを恐ろしいものと思う事だろう!

分かりません。

それなら。
たとえば、この国の住人全員が、
いや全員でなくとも半分でもいい。
数千万人の人間がある目的を持って、
ある広場に、燈籠を持って集まったとする。

たとえ話ですよね。

もちろん。
その数千万人が自分の時間を割いて、
誰かのために祈り、
蝋燭を掲げたとする。

その蝋燭は、平和であるとか、
祈る感情であるとか、
そういったものの暗喩だと思っていいですか。

かまわない。花束と置き換えてもいい。
もしそういうことが起きたら、
世界で起きている大半の問題は解決すると思わないか?

え。

人口の半数以上の人々が、自分以外の何かのために、
蝋燭を点すような、花束をかざすような、
そんな意識があれば、きっと世の中は平和になる。

逆に言えば、無関心が世界を台無しにしている、と。

微妙に違う。
とにかく、俺は訊きたいんだが、
全員が結束し、
意識を合わせ、
蝋燭に火を点すのは、
これは、
ファシズムではないのか?
統一された行動と呼ばないのか?
このままではこの国は駄目になる。

何でもかんでもアメリカの言いなりだ。
安全性の確認できない食べ物を押し付け、
勝手にはじめた戦争の後始末に巻き込んでくる。
スポーツのルールを好き勝手に変えるのも彼らだ。

でも、それを受け入れているのは、
俺たちの選んだ政治家じゃないですか。

違う。
誰も選んでないんだ。
政治家を誰も選んでいない。
選ばないから、こうなった。

***