20201211

手のひらが分厚くなったはなし

大体毎日am3:00-4:00には目が醒める。深夜ラジオでいうところの27:00。日が上って出かけるまでの私の居場所は大抵キッチン。やかんに茶を沸かして、精米し洗米して米を炊いて、野菜を刻んで味噌汁とオカズを作って、珈琲を淹れる、までがワンループ。昨日収穫した野菜発送の支度をしていたら懇談会シーズンで早帰りの次男が帰宅するや否や洗い物をしてくれた。水が冷たいというのでお湯で流してやる。 いつの間に私の手のひらは冷たくなくなったのか。10代の終わりの頃祖父と祖母の晩御飯の支度担当だった時期があって、日々夕方今と同じように米と味噌汁を炊いていた。あの頃は米を洗う水が冷たくて冬が身に染みていた。20代の終わりから畑に出る様になって、野菜を洗う水の冷たさに百姓への感謝が溢れた。40を過ぎた今、随分と手の皮が分厚くなって米を研ぐのも野菜を洗うのも不感している。面の皮も分厚くなって、初対面だろうが思ったことを大して隠しもせず話す事ができる。もし君が何にもできないことが不安で、死にたくなる様な夜に押しつぶされそうなら、冷たい水で米を研いでみるといい。指先に感じる痛みは記憶となって、苦しみを乗り越えたあとに思い出になって、そしてすべてを忘れていくから。誰のためとも知れない詩を改行もなく雑に挟むこのところ書く乱文が心地よい。SNSに書いていた承認欲求とはもう違う次元でそのすこしまえの公開日記が肌に合う。私は私と私の中の別の私のために書く。吸い込み過ぎてヨレヨレになった脳を少しでも動かして私の中の君を忘れてしまわないように。けれども全てを忘れていくから。何も変わらないと笑う君が存在するのかどうかわからない未来はそれでも君の手のひらの中。

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